館長のご挨拶

             本日は最後まで、ご覧頂き誠にありがとうございます。これからも皆様に喜んで頂けるページ作りを心掛けたいと思っております。
            ご意見・ご要望がありましたらをいただければ幸いです。

年 齢 撮影している車輌からご推察いただければ幸いです。
居 住 地 東京都 都下
職  業 雑協記者会所属編集記者 元全国紙取材記者(兜町、農水省担当でした)。
忘れられない取材現場 日航123便(JA8119)御巣鷹(高天原)山墜落事故
――なんの覚悟も準備もできないまま、一瞬にして520名の生命が奪われた。

取材時の凄惨な現場の記憶は、私の心に今でもしっかりと刻まれている
資  格 国内・一般旅行業務取扱主任者
登録:東京都知事登録旅行業第3-3○○7号
本業以外にこんなことも 『江ノ電八十年表』(江ノ島電鉄)、『東武の鉄道車輌90年の歩み』、『東武鉄道百年史』(以上、東武鉄道)等鉄道会社の社史編纂をしております。

他には、鉄道に関する講演会や博物館へ鉄道部品や資料、鉄道写真の展示等の協力も行っております。


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■本籍地は、東京都神田・北乗物町。江戸時代、籠をつくる職人が多く住んでいたという町だったとか。生まれたときから、“のりもの”に縁があった様です。

■乳幼児の頃は、毎日、「都電」に乗せて欲しいと、母にせがんでいたらしく、三越まで往復していたそうです。

■特急『富士』(151系)のパーラーカーに乗車した事で、本格的に鉄道の魅力にとりつかれ、現在に至ります。

■その間、蒸気機関車の終焉や、国鉄の分割民営等のエポックメーキングに、立ち会ってきました。

■両親の実家が高松にあったため、東海道、山陽筋の優等列車や宇高連絡船に乳幼児の頃から乗車船できた事は、恵まれた環境だったと思います。

■高徳線でC58を撮影していたら、真っ黒な顔で手を振ってくれた機関士さん。子供の頃の良い思い出です。今と違い、この当時は、線路端で撮影する子供もあまり(ほとんど)、いませんでした。

■蒸気牽引の特急「あかつき」に乗車。これが蒸気牽引による特急、最後の乗車となりました。

■1982年、鉄道要覧に記載の国有鉄道完乗。

■2000年10月14日、鉄道要覧に記載された鉄道を全て乗車。日本の“鉄道”を完乗しました。

■1984年に廃止になった、日本最南端の鉄道だった、南大東島のシュガートレイン。仲間と飛行機をチャーターして、撮影に出掛けましたが、島内で何回も“怪しい人間”と間違われてしまいました。

■故 島秀雄氏にインタビュー。いただいた「肩書きの無い」名刺は、宝物です。

■生きている間に“リニア中央新幹線”の開業式を、撮ることができるかなぁ・・・。

■“素晴らしき趣味”を理解してくれる家族に日々感謝!

■先般、NHK BS-2「BS鉄道ファン倶楽部」に出演しましたが、面識の無い方からも沢山のメールを頂戴しました。時間をみつけてお返事を出そうと思います。
 
▲「こだま」1等車、モロ151のR17シートで、レンズ・キャップを手にご機嫌です。半世紀以上前の姿。「富士」が新設されるまでは「こだま」を使い、両親の実家がある高松へ向かいました。

決して座ることなく、発車してから終点まで走り去る景色を眺めては嬉々としていたそうです。モロ151にしたのは、トイレが和式だったからでしょうか…。
▲151系『富士』の“パーラーカー”に乗車した事で本格的に“鉄ちゃん”運用に入った――。
アルバムから(車内は乗車記念絵葉書より)。 1961年11月1日 東京駅
  
▲151系特急「富士」の愛称板と差込サボ(収蔵品から:愛称板はアルミ製、サボはホーロー製)。
サボの裏面は、共通運用「うずしお」用の大阪⇔宇野

日下部みどり子著の『マイロネブックス 鉄道ファン生態学』(JTB出版)に、当サイトが掲載されました(再版の予定はありません)。著者の日下部みどり子さんは、2008年4月23日にご逝去されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2014年4月14日発行、別冊宝島『日本のSL蒸気機関車〜今、乗れるSL大図鑑』に、館長とHPで未公開の収蔵品が紹介されました。
▲収蔵品の中で一番の“大物”蒸気機関車の動輪 D51710(2,360?)の第一動輪(左)と、C58 421(3,468?)の主動輪。

現在、伊豆高原の某所に保管中です。車と比較すると、その大きさがお分かりいただけると思います。



本名の「淺川」に関するサボや切符、駅弁の掛け紙等の収蔵品。

「淺川」の本家筋は徳島県の海部郡海陽町淺川の城主でしたが、長宗我部元親の軍勢に攻められ血縁者はこの時、讃岐と土佐に離散しました(運よく、血筋は絶えることなく、現在に至っております)。

30年ほど前に、壬申戸籍をなんとか閲覧し、菩提寺の過去帳を辿ったところ室町時代までは遡ることができました――。

淺川駅は1961(昭和36)3月20日に高尾駅に改称されました。

前サボの裏面は、東京行。吊り下げサボの裏面は、大月⇔八王子です。

玉川亭の駅弁の掛け紙は、昭和8年の物ですが「淺」の字は新字の「浅」を使っています。隣駅の「與瀬」(現 相模湖)は旧字を使っています。 

「武蔵中央電気鉄道」の「川 淺」の布製字幕を入手すれば、完結なのですが…。