播但線

山陽本線の姫路から山陰本線の和田山を結ぶ「陰陽連絡」の播但線は、姫路と寺前までの区間列車は
朝と夕刻はC11が運用を担当していました。また、長谷と生野の間に横たわる難所「生野峠」を走破する
のは、豊岡区のC57で客貨を牽いていました。

長谷〜生野は15パーミル、生野〜新井は25パーミルの勾配でした。

播但線には悲運のDL、DD54も投入され、新井から生野へ向かう貨物にはDD54が前補機として付きました。

「かもめ」専用機C57 11は豊岡区で晩年を過ごしたため、貨物仕業に入ったときは、哀れさを感じましたが、
集煙装置が装着されたものの、K−7はそのままだったのは嬉しかったものです。

寺前駅では、C11が姫路へ折り返すまでのわずかな時間、助士が火床整理を行い、カマの上に登れば石炭
掻きと給水作業を行う風景を堪能することができました。

その間に、短命だったキハ82の特急『ゆあみ』とも遭遇したりして、賑やかな路線でした。