石北本線で忘れてはならないのは、同線難所の一つ、高低差600メートル、生田原から金華間に掛けて横たわる「常紋越え」
でしょう。難工事の末、完成した「常紋トンネル」では“タコ部屋”労働と云われる悲劇を、今に伝えます。
現在と違い、鉄道が陸上輸送の主役だった時代は夜を徹してたくさんの貨物列車が本線上を走っていました。常紋峠を前に
生田原は補機の中継地として昼夜を問わず、多忙を極めていました。
本務機と後部補機とで交わす「汽笛」の合図。カメラを構える鉄ちゃんは、高揚した興奮の一瞬に酔いしれるのです。
トンネルに隣接する常紋信号所では蒸気撮影の全盛期、訪れる鉄ちゃんのために客扱いも行われました。旧きよき時代の話
が想い出されます。