日豊本線

九州の東岸に沿って東九州の主要5都市を結ぶ日豊本線。同線は鹿児島本線と比べ電化が遅く、1967年に大分(幸崎)電化が完成、
その先宮崎(南宮崎)電化は遅れること7年後の1974年4月25日のことでした。

電化が遅かったため、日豊本線は幹線ながら、蒸気機関車を見ることができ、ファンにとっては注目の路線でした。南宮崎から以南は、
D51は入線できずライトパシのC55、C57が活躍する路線として人気がありました。

“九州のカマは美しい”。南国の太陽に照らされた真っ黒い躯体がとても、眩しかった記憶がよみがえります。

細身のボイラに小工式K-7デフの組み合わせは、最良だと思います――。

当時の撮影行と言えば、「鉄道と徒歩による移動」でした。一日に10qを走破するのは、当たり前の事。日豊本線の撮影の場合、田野
駅で下車し、日向沓掛方のポイントで撮影、田野駅へ戻って撮影しながら門石信号所を経由して青井岳駅へ出ると言うのが、同線での
撮影パターンでした。

さて、日豊本線で忘れられないのは、定期による最後の蒸気牽引急行となった「日南3号」でしょう。
マニ60+オハネ12+オロ11+オロ11+オハ46+ナハ10+ナハフ10という、堂々の編成は美しいの一言。 
運行期間は6ヶ月という短さでしたが、南国の西日を浴びたC57が片道とはいえ、日向路の奇跡(軌跡)を演出したのです。

宮崎電化開業記念スタンプ