豊州鉄道の手により開業した田川線は、苅田港へ石炭を運ぶ目的で敷設されたました。九州最古の
隧道である第二石坂隧道も、同線に跨っています。
9600が後補機を従え、長大編成の石炭列車の先頭に立ち大活躍。まさしく“古老健在”と云った感でした。
勾金〜油須原間のほぼ、中間点に位置していたのが内田信号所。その信号所と油須原の中間点付近
には、漆生線の漆生と油須原を結ぶ予定の油須原線の分岐点がありました。
1989年10月1日、第三セクターの平成筑豊鉄道に転換され、現在に至っています。