人吉市蒸気機関車館を後にして――

昭和62年1月9日に、矢岳からの搬出日が決定した。慎重に解体準備を進めるべく、8日には解体前の入念な再調査を済ませた。「問題なし」の言葉の言葉を聞いた時、現場に立ち会ったO氏の目からは一条の涙が流れた。翌9日、いよいよ再生の期待をかけ、大勢の国鉄関係者や報道陣、搬出を見届けようとファンや市民が見守る中、住み慣れた「人吉市SL展示館」から「58654」は10数年ぶりに戸外へと出され、陽の明かりを浴びた。解体作業は、ボイラー部、足回り、テンダーそれぞれ3分割にし、それぞれトレーラーへと載せられ陸路で小倉工場へと運ばれた。


  
 “クラ”から20年ぶりに戸外に出された58654。長年住み慣れた「人吉市SL展示館」をまもなく後にする


解体に手間が掛かるエンジン部分は後回し。テンダーを先にトレーラーへ積み込む


困難を極めた足回りの搬出はトレーラーが展示館から一般道に出るまで約3時間を要した


小倉工場で復元工事始まる

「人吉市SL展示館」から丸一昼夜をかけ、小倉工場には10日到着。沿道では、多くの人たちが「58654」が載せられたトレーラーを興味深く眺めていたという。無地に工場に搬入された58654は、本線上の復活運転を目指してこれから約6ヶ月間、入念に検査修繕が施される。

屋内展示されていたとはいえ、火を落として20年という長い月日。ボイラーのあちらこちらには錆が浮き、目には見えない痛みが相当あるだろうことは想像に硬くない。安全面を考え、今回ボイラーは新製するという。

走り装置は走行に耐えられるか、火室に異常はないか――およそ300項目にわたる検査項目が実施されるが、小倉工場には蒸気の修繕を経験した人間はとうにおらず、今回、58654の修繕をするに当り、ベテランのOBが多く集められた。長年の経験で培われた“腕”をこれから存分に発揮してくれると期待される。


ランボードと動輪部分が分離された。シリンダー・ブロックはカバーがずされている(1月13日)


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