“第1924仕業点呼願います!”

今日は待ちにまったキャブ添乗の日だ。JR九州本社で交付されたエンジンパス(動力車運転室乗車証明書)を片手に早朝、熊本運転所へ向かう。長い歴史を誇るレンガ造りの機関庫とは対照的な鉄筋5階建てのビルの2階に乗務員室はある。今から乗務の人、下番の人などの出入りで部屋全体が活気に満ち溢れている。

私も添乗取材に備え、借り物のナッパ服に袖を通す。作業帽をかぶり、あご紐をかけるといっちょ前の乗務員の姿が出来上がった。過去に数回、動力車の取材は経験しているが蒸気は、初めて。キャブ内の平均気温はこの季節、60度を軽くオーバーする。ちょっと、“憂鬱”だ。


この当時はまだ、「国鉄」時代の添乗証明書が使われていた

「第1924仕業、点呼願います。機関車番号58654号機、出発番線変更なし、徐行区間なし――」
出区1時間半前に出勤し運行関係の通達を確認、58654に乗務する熊本運転区所属のI機関士、Y助士の二人は点呼台の前で当直助役と挙手の礼を交わす。
「沿線には大勢のファンがいます。くれぐれも注意してください。以上!」助役から注意事項の伝達が終わると、時計を整斉する。乗務員手帳に当直助役の押印をもらい、出区線で待つ、58654へと二人は足早に向かう。

道すがら機関士のIさんは「C60、C61の乗務経験があります。ハチロクの乗務は初めてだったんですけど、ボイラーは新品、蒸気の上がりがすごく良いですネ。今回の復活運転に備えて、山口のC57で訓練運転を積んですよ。本線上でレギュレーター・ハンドルを握るのは久しぶりだから嬉しいよ」と、ニッコリ。

本日、助士を務めるYさんは「普段はELの機関士をしています。現役時代の蒸気は助士のみ経験しました。昔取った杵柄、役にたちますよ!」。

お二人とも58654の乗務員に選抜されたことが嬉しくて仕方ないといった感じだ。石炭の積み込みと、テンダーへの給水は前日に終了している。キャブに乗り込むと直ぐに出区点検の開始だ

石炭や水、砂をはじめインゼクター、ブレーキ、足回り等の各部を点検する。Y助士は火床作りに余念が無い。運行を左右する作業だけに30分は費やすという。出区点検を終えると、「出区!」腰を少し浮かし、I機関士がレギュレーター・ハンドルを少し引いた。

Y助士は5、6ぱいシャベルで火床に石炭を放り込む。短汽笛が鳴らされた。


 
挙手の礼で点呼終了 I機関士の出発前の入念な点検が続けられる



本線2番、出発進行! 熊本駅定時発車!!

8654は、客車を連結した後、一旦側線に引き上げてから熊本駅へと入線する。それにしても、キャブはうだるような暑さだ。さすがに閉口してしまう。汗が吹き出て、止まらない。

焚口戸のあたりは、50度を超えているだろうか。熊本駅に進入するとホームでは、ファンが嬉々として58654の姿をカメラに収める。時刻は9時37分。発車間際のキャブ内は忙しい。水面計を見ながら注水作業、投炭をする。


発車まであと、数分だ。キャブ内には慌しさが拡がる

缶圧力計は定格の13kg/cm2をピッタリ指している。タービン発動機の唸り音がキャブにまで聞こえてきた。出発信号が青く光る。駅長の右手がさっと上がった。

熊本駅での出発式も無事に終了。いよいよ、58654の本線復活の始まりだ。

『こちら9711列車、車掌です』 『はい、9711機関士です』I機関士が応答する。
『機関士さん、9711列車、発車してください』

I機関士が汽笛ハンドルを引いた。「ピーィィィーッ」カン高い3音室特有の音が、ホームに響き渡る。心地よい響きが身体にも伝わってきた。



JR九州・石井社長(堰jらの手により出発式が挙行された


『本線2番、出発進行!』 『本線2番、出発進行!!』。

機関士と機関助士。息の会った喚呼応答がキャブにこだまする。58654は熊本の空に黒煙を吹きつけ、9時38分定時に駅を離れた。

レギュレーター・ハンドルを目いっぱいまで、じょじょに手前に引く。空転しやすい蒸気機関車はELのようにシリパラ、パラと、一気にノッチ操作が出来ないのだ。シリンダーから真っ白い蒸気を、シューッと音をたてて吐き出される。

直径1600_の真っ黒な動輪が静かに回転し、やがてスピードが乗ってきた。蒸気機関車の発車には“神ワザ的”な妙技が必要となる。熊本駅を出てからしばらくは平坦なため、ワンスコで無煙炭を焚口にくべる。

一ショベル一キログラム。終点まで何杯くべるであろうか。目の前の火室が巨大なストーブのように熱い。炎の温度は1400度を超えている。「蒸気機関車に乗務すると“火焼け”するんですよ」と言った助士のYさんの言葉を思わず反芻した。<BR>

機関車は上下に激しく揺れながら一路、終点の宮地を目指す。


大地を蹴る1600ミリの動輪

熊本を定時に発車した58654は、熊本市の南部をひた走る。およそ10分ほどで最初の停車駅である南熊本に到着する。南熊本では4分間の停車だ。南熊本を発車すると、3月13日に開業したばかりの新水前寺駅を通過し、次の停車駅である水前寺駅へと侵入した。駅から徒歩5分のところには、肥後藩主細川家の庭園だった水前寺公園が位置する「観光駅」でもある。

水前寺駅で58654は、上りの732Dと交換のため3分間停車する。停車時間の間に点検のため機関助士のYさんが線路に降り、小走りに車軸を見て回る。熱を持っていないか手で触る。「異常なし!」と、I機関士に力強く報告する。732Dをやり過ごすし、9時55分30秒、58654は定時に水前寺駅を発車する。

列車は白川橋梁を轟音を響かせながら渡り、東海学園前を定時である10時コロコロに通過し、次の停車駅である竜田口へと快調に飛ばしてゆく。ここでは宮地から来た734Dと交換のため、10分間の停車となる。


 
     薗闥ハ! 東海学園前            注水! 素手では到底握れない熱さになっている


  
                大勢の人たちが58654の運行を見守っている 停車のたびにキャブは見学者で満員となる                            


1600ミリの動輪が大地を蹴る


58654は、一息入れた後は、武蔵塚、30秒停車の三里木、原水と順調に宮地へと歩を進めてゆく。途中、保線作業の人たちが安全運行のために人知れず汗を流していた。Y助士はその人たちのため挙手の礼で、挨拶をする。鉄道輸送は、大勢の人たちが支えているのだ。窓からは加藤清正が植栽したと伝えられる杉木立を横目に見ながら、瀬田に定時に到着した。

瀬田を過ぎるといよいよ、九州で最大の難所「立野のスイッチ・バック」にさしかかる――。


n e x t